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不法占拠からみるベルリンの歴史

近現代世界史における中心的な舞台となってきたベルリン、その歴史を語っていくうえで多くの人が「ベルリンの壁」や「東西冷戦」「第一次・二次世界大戦」といったキーワードを頭に浮かべるだろう。このような大きなトピックに付随して、「不法占拠」という歴史があることをご存じだろうか。

【背景①】ベルリンの戦災復興と住宅

弊社ブログで何度もお伝えしてきたように、ベルリンは20世紀に5度の国家体制崩壊を経験するなど、度重なる革命と戦争による激しい破壊・更新を繰り返してきた街だ。この歴史のなかで人口の増減も激しく、ベルリンを取り巻く住宅事情は都市計画の主眼であった。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ベルリンで投機的に建設された賃貸兵舎 (Mietskaserne)は当時の都市住宅問題の元凶と言われており、道路全面の住棟だけでなく、奥行きの深い敷地にあって、中庭を食いつぶすように裏屋・バラック(Hinterhaus)が建設されていったため、高密度で不衛生な環境となっていた。

賃貸兵舎(Mietskaserne)建設の様子(徐々に中庭(Hof)が小さくなっているのがわかる) 出典:Auguststrasse より

賃貸兵舎(Mietskaserne)室内の様子 出典:Augststrasseより

第二次世界大戦後、ベルリンは西と東2つの勢力による別々の都市復興計画がなされていった。西ベルリンでは、住宅事情の改善を目指す社会運動と近代建築の運動が相まって、1987年には国際建築展 (IBA)などの動きがおこり、緑地とオープンスペースのデザインが重視される一方で、東ベルリンでは体制誇示的で無機質な高層の社会主義住宅が建設されていった。

【背景②】東西分裂・統一と不法占拠

老朽化し低廉化した賃貸兵舎は、西ベルリンのインナーシティーにおいて、芸術家、社会・政治運動家、パンク、アナキストなどのアウトサイダーを招き寄せる場となり、東ベルリンにおいては国家体制に反発する運動の拠点となった。東西統一後は、ベルリン全体で空き家・空き地を占拠するスクウォッティングが最盛期に突入し、開発や投機に対する反発があちこちで起こった放っておけば行政や大規模な資本による開発が行われるベルリンにおいて、このような反発は、自由な都市空間を獲得しようとする人々の熱意が現れたものであった。結果このような不法占拠は一部是正されたものもあるが、街の価値を長期的に高めるものとして政府・行政が追認したものも多くあり、この動きは“合法的不法占拠”と名付けられるまでになった。


不法占拠に対する社会的関心

不法占拠の歴史的経緯、活動に対するドイツやベルリンの社会的理解・関心は深く、不法占拠という言わば”文化”とも認識されている行為の歴史を記録・保存するムーブメントの潮流が存在する。その一例として、”BERLIN BESETZT“というWebサイトをご紹介したい。

このWebサイトではベルリンで起こった(または現在進行形で起こっている)不法占拠の過程を時系列に地図上へプロットしている。

BERLIN BESETZT“の概観

下のアンダーバーを動かすことにより、どの時代にどこで不法占拠が行われていたかを視覚的に分かりやすく見ることができる。ひとつひとつの建物をクリックすると詳細な住所と不法占拠された年が分かり、史料が残っていれば当時不法占拠にあたり配布されていたチラシなどを閲覧することができる。

プレンツラウアー地区のシェーンハウザー通り20/21番地の不法占拠にて配られていたチラシ


以上のことから、不法占拠という行為がベルリンの街に影響をもたらし、歴史を形作っていることがお分かりいただけただろう。一般的な感覚からすれば、ネガティブなイメージが大きい不法占拠。しかしながら、ベルリンにおける賃貸兵舎を中心とした不法占拠は、自由な都市空間を求めるベルリンの人々によるインフォーマルな復興の象徴であったとも言えるだろう。「合法的不法占拠」という現在の解釈に落とし込めば、民間主導・行政追従(支援)というベルリンの歴史の文脈にある「勝ち取る文化」が垣間見えてくる。

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