月: 2017年11月

  • ベルリンの歴史2

    ベルリンの歴史2

    (2)終戦~ベルリンの壁
    第二次世界大戦で徐々にドイツの敗戦が濃厚になるにつれ、ベルリンは戦争の舞台となり、終盤の地上戦で中心部はほとんど廃墟
    となった。ついに1945年5月8日ドイツは連合国の前に降伏するに至った。


    連合国の占領下に入ったドイツは、連合国により4つの地区に分割され、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の占領軍司令が各
    地区を統治するという形で軍政下に置かれた。それに伴い首都ベルリンも4つの占領地区に分割された。占領4か国の軍司令官で構成される連合国管理理事会にてドイツの今後が調整されることになった。ただし、アメリカとソ連のドイツ占領方針の食い違いが大きく、足並みは乱れた。その後、西側3か国は西側だけで「合同占領地区」として統合し、西側のみで通貨をライヒスマルクからドイツマルクへと切り替えた。さらにソ連によるベルリン封鎖で東西ドイツの分裂は決定的となった。
    1949年に西側合同占領地区は連邦制と議会主義を基本とするドイツ連邦共和国(旧西ドイツ・首都はボン)へ、ソ連占領地区は社会主義統一党が支配するドイツ民主共和国(旧東ドイツ・首都は東ベルリン)として二つのドイツ国家が発足した。それに伴い、ベルリンも完全に別の国へと分断された。
    西ドイツは「マーシャルプラン(アメリカのヨーロッパ経済復興援助計画)」による援助で、今までに類を見ないほどの速さで経済を復興させていった。1955年の主権回復と同時に西ドイツの北大西洋条約機構(NATO)参加、東ドイツのワルシャワ条約機構参加と東西ドイツは統一が遠のき完全に分裂した。
    一方の東ドイツは戦後、現物賠償として工業施設のほとんどがソ連に持っていかれるというスタートで、マイナスからスタートしたと言っても過言ではない。その後、ウルブリヒトのもとで社会主義国家建設に邁進してゆく。そして悪名高き秘密警察機構シュタージによる監視社会へとなっていった。それを嫌う多くの東ベルリンの人々が西ベルリンを経由して西側へ移住していった。その数は250万人にも上っていた。それを見てソ連は1961年8月に突然「ベルリンの壁」の構築を始めた。

    (3)ベルリン東西分裂
    東西分裂後、西ドイツは日本と同様に奇跡の経済発展を遂げたのに対し、東ドイツは思ったような経済成長を遂げられなかった。徐々にソ連と同様に計画経済が硬直化していき、1980年代に入ると、はっきりとほころびを生じ始めていた。東ドイツの孤島となっていた西ベルリンは西ドイツでありながら、大規模な開発がなされないまま、ゆっくりとした成長にとどまっていた。一方の東ベルリンは完全に経済が行き詰まっていた。

     

    (4)ベルリンの壁崩壊~ドイツ再統一
    1980年代末にソ連の「ペレストロイカ」からの改革及び民主化の動きが東ドイツに波及
    し始め、1989年11月9日に歴史的な「壁」の開放へとつながった。統一の形は東5州及び
    新都市州ベルリンが西ドイツの連邦に加盟する形で行われ、翌1990年10月3日に連合国は
    ベルリンの統治権を放棄し、完全に統一された。

    (5)首都ベルリン
    その際、ベルリンの区制は再編され、現在の12区へとなった。その後、旧西ドイツの首都であったボンからベルリンへの首都機能移転の議論が本格化し、1991年、連邦議会のベルリン移転決議を経て、1999年9月より移転が実施された。2001年5月に連邦首相府が完成し、新庁舎での公務が開始された。ベルリンの歴史的背景を述べてきたのは、歴史に翻弄された現在のベルリンは新たに生まれ変わったとても若い都市でもあるということを伝えたかったからだ。

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    ・ウィンドゲート本社内 セミナー会場

  • ベルリンの歴史1

    ベルリンの歴史1

    (1)ドイツ帝国成立~第二次世界大戦
    ベルリンは歴史に翻弄された街である。
    1307年、シュプレー川に沿った二つの町が合併してベルリンが誕生した。
    1415年、フリードリヒ1世がブランデンブルグ選帝侯となる。
    その後、第一次世界大戦でのヴィルヘルム2世退位まで、ホーエンツォレルン家がプロイセン公→プロイセン王→ドイツ皇帝としてベルリンを首都として統治した。
    フリードリヒ大王がベルリンの再開発を行い、現在のベルリンの基礎が作られた。


    1871年、ヴィルヘルム1世治世の時に鉄血宰相で知られるビスマルクの助けによりドイツ帝国が成立し、首都となった。


    第一次世界大戦の敗戦で皇帝ヴィルヘルム2世は退位、ドイツ帝国が崩壊し、ワイマール共和国となった。しかし、歴史に翻弄されながらもヨーロッパ随一の都市として栄えていた。
    その後、第一次世界大戦の重い賠償金や世界大恐慌などで社会の不満がたまっていく中でナチス政権が台頭し政権を握っていった。当時ベルリンは首都としての都市改造などを積極的に行い人口が増大した。ナチス時代の遺構としてテンペルホーフ空港、宣伝省、航空省の建物、オリンピックスタジアムなどが残っている。

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  • ALTBAU アルトバウ

    ALTBAU アルトバウ

    1960年代までは、「アルトバウ」と呼ばれるレンガ造りの建物が建設されていたが、その後、この建設様式は、鉄筋コンクリートなどの新しい方法へと移行していった。そのため、1960年代から少しずつアルトバウの比率が下がってきている。そして需要と供給の法則により、アルトバウの中古物件価値は上がり続けるであろう。


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  • ダイナミックな建設ブーム

    ダイナミックな建設ブーム

    現在のベルリンは建設の面で、ダイナミックなハブとなっている。街中を悠々と流れるシュプレー川沿いには、建設クレーンが林立するが、ドイツの他都市では、このような景観は見られない。この建設ブームは、この先しばらく勢いを弱めることはないだろう。
    今後3年間で、約5万5000件の新しい建設プロジェクトが完成する。
    これは、2015年から2017年の間に、建設が予定されている10万件以上のプロジェクト許可数に基づいている。
    2014年→合計2万件の建設許可が出ている。2015年~2017年→年平均では3万5500件に上るであろう。
    これは、東西ドイツ統一後に見られた増加率を上回る計算になる。
    この建設ブームの背景には、いくつかの理由が挙げられる。最も重要なのは、新しい居住者の流入が続いていることだ。2016年現在、年平均で約4万人がベルリンへ引っ越してきており、この数は今後増え続けると予想されている。2013年末時点→ベルリンに約190万の居住用アパートがあった。
    増え続ける都市人口に対応する形で2030年までにさらに14万件の需要が生じるだろうと、ベルリン議会は予測を立てている。

    ユーロ圏の経済見通しを巡る不安感が払拭されないこと、また、ベルリンの低金利が維持されていることもあり、この都市の有形資産投資、不動産の需要増加が後押しされている。しかしながら、建設ブームとはいえ、土地購入/プラニングの段階から建設許可が下りるまでのプロセスは、時間がかかるため、この建設景気がもたらす好影響が実際に感じられるまでには、ま
    だしばらく時間がかかりそうだ。そしてまた、この都市がドイツ国内の他都市に見られるような人口過密状態を呈する心配は
    ない。ベルリンには、新たな居住用建設プロジェクトを可能にするスペースが潤沢に存在しているからだ。ベルリン及び他の市街地でも、不動産市場における物件数不足から生じている圧力は、今後緩和されるだろう。2010年以降、国内全体で建設許可数は増加しており、この傾向は今後も維持されると見られている。ドイツ連邦統計局の報告では、2015年1~3月→建設許可が下りた居住用マンション建設プロジェクトは、その前年の同期間に比べ1・5パーセント増となっている。

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  • ベルリンの人口推移/新空港

    ベルリンの人口推移/新空港

    ベルリンの今後の成長性を見る上で人口の推移が大切となる。
    戦前、一度は人口が急増したが、戦争による被災・ベルリンの壁などの影響もあり、人口は激減した。その後、統一ドイツの首都として再整備される中で人口は増え続け、現在はおよそ350万人が生活している。ここ2年は年間5万人に到達しようかという勢いで人口が増えている。
    もともと400万人以上が住んでいて都市のキャパシティがある上に、ゆったりとした都市計画のベルリンは、まだまだ成長余地を持っている。ドイツ国内からの首都への移動だけでなく、ヨーロッパ各国からの移民が多いのも特徴だ。今後の人口増加も大いに期待されており、不動産投資は活発化し、地価が上昇する要因となっている。

    ※注:ベルリン市街面積が時代により異なっているため、戦前の人口は参考値として捉えてほしい
    長い歴史で見る推移

    1920年約380万人
    1937年約434万人
    1945年約280万人
    2002年約339万人
    2016年約350万人

    今後、ベルリンの地価が上昇する要因の一つにブランデンブルグ国際空港の開港がある。
    既存のテーゲル空港は設備が古く手狭であり、市街地に近いことから騒音問題がある。また鉄道駅が空港に直結しておらず、バスまたはタクシーで中心地に向かう必要があるという問題を抱えている。
    それで、ベルリン南東のシェーネフェルト空港の拡張という形で近代的な国際空港を建設することとなった。4000メートル級の滑走路を備えており、長距離便も直接乗り入れることができるようになる予定である。まだ決定はしていないが、日本との直行便が飛ぶのではないかと言われている。ドイツは今までフランクフルトをハブ空港として発展させてきたが、首都に乗り入れることができる大型空港が完成すれば、より多くの人がベルリンを訪れるようにな
    り、居住者も増えていくであろう。

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  • 壁崩壊から28年、ベルリンは今

    壁崩壊から28年、ベルリンは今

    2017年11月9日、ベルリンの壁が崩壊して28年の時が経った。毎年ベルリンはもちろんのこと、世界各地でこの記念すべき日は大きく報道されるが、今年は特に大きな意味を持つ節目の年であった。ベルリンの壁が存在していた28年という年数に、崩壊してからの年数が並んだのである。

    第二次世界大戦の幕が閉じ、米・英・仏による西側陣営はドイツの復興像として民主主義の国家再建を検討していたが、東側のソ連は自国の社会主義をそのまま持ち込もうとしていた。ベルリンはここから2つの勢力による都市復興が計画され、不完全な計画を東西にそれぞれ抱えた歪(いびつ)な都市へと成長していった。東ベルリンの復興計画では、当時ソ連で独裁を敷いていたスターリンによる社会主義リアリズムに端を欲したモニュメンタリズムを基軸に、西側諸国に対する「勝利」を表現した壮大な建築物やその装飾デザインが提案された。一方、東ドイツの中で陸の孤島となっていた西ベルリンでは、東ドイツおよび東ベルリンに対抗するかのような新しい都市への提案が相次ぎ、特に住宅や住まい方の点において議論が白熱した。両陣営目的も手法も異なる復興を行い続け、その歪さの象徴としてベルリンの壁が1961年として建設されたと言えよう。ヨーロッパの長い歴史の中で、都市の城壁は外敵から都市を守る役割を担ってきたが、ベルリンの壁は内からの逃走や情報の漏えいを食い止めるというこれまでにない意味合いを持っていた。ベルリンの壁は取り除かれる1989年まで「強化」が続けられ、鉄条網からコンクリートブロック、最終的には自動発射銃も取り付けられた。もはや街中に張り巡らされた兵器のような存在である。冷戦時代における米ソの対立はしばしば「鉄のカーテン」と呼ばれるが、その重々しさはベルリンの壁の持つ意味合いをまさに体現している。

    だからこそ、壁の崩壊というすさまじく大きなエネルギーは28年という歴史のなかで多くの変化をもたらした。なかでも特に注目すべきなのは、2014年から旧東ドイツ地域と旧西ドイツ地域間の移住傾向が逆転していることである。その背景としてベルリンへの移住者増加が指摘されている。ドレスデンやライプツィヒも旧東ドイツ地域への移住が増加した要因となっている都市であるが、どちらも「ポストベルリン」と呼ばれるほど、ベルリンの持つ魅力は大きく評価されている。(出典:『東西移住傾向が逆転、1990年統一後初めて ドイツ』AFP BB NEWS  http://www.afpbb.com/articles/-/3088855

    また、世界レベルで見てもベルリンには移住者が殺到している現状にあり、ヨーロッパの国際都市として地位を確立している。ロンドン、パリ、ウィーンといったような大都市に肩を並べ、成長を続けるベルリンの魅力はどこから生まれるのか。

    度重なる革命と戦争によって激しい破壊・更新を繰り返してきたベルリンは、いまだ都市の完成というものを経験していない。だからこそ、ベルリンは独自の自由さとパワーを持ち合わせているのではないだろうか。東と西、それぞれが自らの計画をもう一方へ展開させることを目論んでいたため、今もベルリンの都市には歪さが残り、この歪さがベルリンらしさを生み出しているともいえる。壁が撤去されたことにより、ベルリンの中心部から郊外部に生まれた広大な空地は、そのまま開発・再開発の「伸びしろ」となった。

    壁が建設されて28年、壁が崩壊して28年。この節目の年に見るベルリンの未来は明るい。

  • ベルリンのエリアと狙い

    ベルリンのエリアと狙い

    (1)1st Tier・2nd Tier
    ベルリンの不動産業界で使われている区分で中心部を囲んだ「1st Tier」と呼ばれるエリアが、最もキャピタル・ゲインを見込める地域だ。戦争の被害が大きくベルリンの壁があった影響で、中心部の割に空地が多く新築物件が多いのが特徴的である。
    東京でいうと大手町、丸の内、銀座に匹敵するエリアである。現在の地価の上昇局面で、このエリアのキャピタル・ゲインの期待値の高さをわかってもらえるだろう。
    次いでキャピタル・ゲインが狙えるエリアは、「2nd Tier」と呼ばれるエリアである。ベルリン中心部から電車で30~40分程度のエリアだ。場所によって割安感・割高感などがかなり違うので、ロケーション選びにはより目利きが必要になる。同じ渋谷区でも、広尾と笹塚ではかなり違うように。
    また、ベルリン南西部には「ダーレム」と呼ばれる高級住宅エリアがある。1st Tierに似た価格感で、地元ベルリンっ子にとても人気がある。麻布や田園調布のような閑静な高級住宅街イメージのエリアだ。

    (2)一棟で買う
    企業・経営者など、資金力がある方に勧めたいのは、区分所有ではなく建物を一棟購入してしまうプロジェクトだ。プロジェクトが大きくなると全体的に値段が抑えられ割安感が出てくる。その結果利回りが上昇する上に、管理会社を自社で選定できるのでコントロールしやすくなる。複数の購入者の共同出資で購入することも可能である。

    (3)何を狙って投資すべきか
    インカムゲイン、キャピタル・ゲイン、減価償却による税の繰り延べのどれを優先するかによって、物件の適切な購入方法は異なってくる。インカムゲイン・減価償却は後程詳しく述べるが、エリアごとの優先順位をまとめたので、参考にしてほしい。

    物件地域
    ①ベルリン中心部(1st Tier)
    キャピタル・ゲインが見込める。市場:中古物件(少)新築物件(多)
    インカムゲインは2nd Tierほど見込めない。

    ②ベルリン中心部以外(2nd Tier)
    インカムゲインが良い。
    キャピタル・ゲインを目指すなら、ロケーション選択が極めて大切。

    ③高級エリア
    例:Dahlem(ダーレム)
    条件的に1st Tierに類似。

    新築vs中古
    ①新築
    ● 1st Tier・2nd Tier の双方が市場に存在
    (1st Tier:6000~1万2000ユーロ/平方メートル、2nd Tier:3500~6000ユーロ/平方メートル)
    ●減価償却による大きな効果は期待できない

    ②中古
    中心部の中古物件は市場に出てくる数が少ない。需要と供給の法則に従い、物件価格が比較的高くなる。
    ⇒2nd Tier が適切(物件価格幅大)
    ●減価償却を優先する場合は中古物件が理想的

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  • 先進国か、新興国か

    先進国か、新興国か

    (1)新興国のリスク
    市場の成熟した先進国不動産投資は、新興国不動産投資に比べ、歪みによる利益を得にくいと言われている。実はそれは先入観でしかない。不動産投資は賭け事ではない。先進国の中で歪みを見つけ、そこに投資する方が安全かつ利益を得られるのだ。
    東南アジアをはじめとした新興国は、不動産をきちんと売買し、それを賃貸・管理していくといった国内不動産マーケットが、極めて小さいのが実情である。
    日本人の感覚からするとわかりにくいが、売買は当事者2者がいれば成立するが、賃貸は主に国内事業者・企業のマーケットであり、国や都市の経済力に合わせた規模にしかならないのだ。
    故に新興国のデベロッパーは、マーケットの小さい新興国で売買時のみに、一時的なテナントを入居させ、架空の利回りで購入をさせることもある。そのテナントが出てしまうと、はるかに低い賃料でしか貸せなくなってしまうのだ。その低い賃料から収益還元法で売買価格を計算しても買った金額には届かない。
    時折、賃料保証をうたっている業者があるが、きちんとしたマーケットがない国で、一定期間の賃料を保証するというのは、数年間の高い賃料を価格に含ませて売却する商法であり、一定期間終了後、その賃料で貸し続けるのは不可能である。不動産を購入した時に想定された利回りに応じた賃料を払えるテナントがいないのである。国の経済成長と不動産投資には必ずタイムラグがあり、個人投資家の実情に合わせた成長はしないものである。あおられた売り文句で夢のような投資先のように見えるが、新興国不動産投資はとても難しいものなのだ。かなりの知識がないなら手を出さないのが賢明だ。
    宝くじのように利益力の良い物件に出会えるかもしれないが、貴重な資産をそのような賭け事に近い投資で使うのはお勧めできない。そもそも海外のデベロッパーが信頼できるのかどうか、倒産リスクがないのかを調べる方法さえ思いつかない。自らデベロッパーとなるぐらいの資力があってこそ、ビジネスチャンスはあるだろう。

    (2)先進国不動産投資のメリット
    先進国の不動産投資はその点、安全性が格段に良い。不動産の大きな国内マーケットが存在し、売買・賃貸が繰り返されてきた歴史がある。その失敗から学んだ買主保護・登記・法律が
    整備されている。エリア別の賃料の平均値、上昇率、売買価格の平均値、上昇率なども、インターネット上で、自分自身で探し出すことができる。また大きなマーケットがあるので、特定
    のデベロッパーに頼らず、市場に出ている多くの物件から価格を比較しながら検討できるのだ。

    売却時の価格を予測することも客観的にかつ科学的に行うことができる(もちろん予測は難しいところもあるが)。新興国のデベロッパーが作成した利回りは作為的な可能性が高く、売却時の予想価格も希望的観測である。各国の実情を理解し調べてから売買をすべきである。

    (3)ベルリンの歪みを狙え
    坪単価に直すと、2014年12052 ユーロ/坪
    2017年10月25日時点の為替レート1ユーロ=133円で計算をすると約160万円/坪となる。
    東京の港区の2014年のマンション取得単価→約坪310万円である。いかに地価が低いのかがわかるかと思う。
    2014年のパリ4区の平均値1万1000ユーロ/平方メートルは482万円/坪程度である。

    ミッテ区の安さは特筆ものだとわかるであろう。ただし、ミッテ区の地価平均値は前述のとおりだが、ミッテ区の中心地では7000~1万2000ユーロ/平方メートルを超える物件が出
    てきている。
    以前ほどの割安感は薄れつつある。この地価の割安感からくるキャピタル・ゲインは早晩なくなってしまいかねないし、ベルリン不動産の買い時はユーロ安のまさに今、早ければ早いほ
    ど良いということになる。

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  • ベルリンの過去と現在

    ベルリンの過去と現在

    (1)ポツダマープラッツ
    ポツダマープラッツは第二次世界大戦前のベルリンの中心地の一つであったが、ベルリン市街戦で激戦地となり街は廃墟となってしまっていた。1961年に築かれた壁により、ベルリ
    ンは東西冷戦の戦略的拠点ではあるものの、大規模な開発がなされない経済的な空白地となっていた。ソ連の軍隊がすぐそばに駐留している飛び地地帯に資本を入れたがる有力者はさすが
    にいなかったのだ。そんなベルリンに大きな転機が訪れたのは、1989年の東西ドイツ再統一及びベルリンの壁崩壊である。ベルリン再統一後の大規模な開発でとてもスタイリッシュで
    モダンな街並みへと変貌を遂げていた。

    (2)ミッテ
    2016年現在、ベルリンは12区で構成されている。ポツダマープラッツはミッテ区と呼ば
    れるエリアにある。ミッテとは英語でミドルという意味で、東京の千代田区と中央区を合わせたような経済と文化の中心エリアである。
    ミッテはブランデンブルグ門、連邦議事堂、ウンターデンリンデン、博物館島、ベルリン大聖堂、ジャンダルメンマルクト、ベルリンテレビ塔といった行政・観光の中心地である。ポツダマープラッツにはベルリン再統一後にできた観光スポット・ソニーセンターがある。世界的に有名な建築家ヘルムート・ヤーンが設計した文化複合施設だ。とても珍しい建築様式で外観が富士山のように見えることで有名である。

    ポツダマープラッツで会ったデベロッパーからもらった資料によると、ミッテにある新築不動産案件の価格が1平方メートルあたり4500ユーロ(1ユーロ=113円換算)でおよそ50万円であった。ベルリン中央駅から非常に近く、東京でいうところの中央区銀座から徒歩10分のようなアクセスの物件である。東京で同様のエリアでマンションを購入すれば約2倍はする
    であろう。

    (3)歴史による歪み
    この地価の安さがベルリン不動産の最大の魅力である。ベルリンは決して新興国の首都ではない。G7加盟先進国の中でもトップクラスの経済規模及び財政基盤を誇るEUの優等生であ
    るドイツの首都なのだ。本来、このレベルの地価であるのは考えられない。今後、他の先進国の首都と同じレベルの価格水準まで上昇していくであろうことは容易に推測が可能である。一
    般的に不動産投資において、こういった歪みのことをアービトラージと言い、大きなリターンを得られるチャンスである。不動産投資ではいかにアービトラージを見つけ、投資をするかが
    最も利益を得られる方法だと言われている。

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