1.ベルリンの不動産
(1)東日本大震災直後
東日本大震災の影響が色濃く残る東京から、ベルリン・テーゲル空港に降り立ったのは2011年の春であった。
その年は年明けから景気が持ち直す兆しが見え始め、梅が咲くころには経済活動が活発になりかけていた。そんな時に起きたのがあの大地震。奇しくも、著者が不動産会社ウィンドゲートを立ち上げたのはその年の2月7日。宅建業免許がもうすぐ下りるというタイミングであった。会社を立ち上げてすぐに地震で経済活動がほぼ止まってしまう。これ以上ないくらい厳しい船出となったのだ。
会社は著者である日本人尾嵜豪とドイツ人ベンジャミン・グロースとで設立をし、ヨーロッパから日本に来る外国人客へ、東京都心の高級住宅賃貸サービスをビジネスの柱として考えていた。しかし、震災後の、ヨーロッパにおける日本のイメージダウンは想像以上に大きく、ほぼ売り上げが見込めない状況になっていた。さらには共に会社を立ち上げたパートナーであるグロースが、震災の影響が色濃く残る東京を去る決断をするという、いきなり最大のピンチに襲われたのだ。
(2)ベルリンの美しい街並み
テーゲル空港は、ベルリンという大都市にしてはコンパクトな空港で、その第一印象からベルリンは正直地味な都市だと感じた。東京を離れる決断をしたグロースと、ベルリンの不動産が日本人にとって投資対象として魅力があるかについて議論を交わしたのは僅か渡航の3週間前のことであった。まずはこの目でベルリンを視察し、ベルリンのデベロッパー・不動産会社と意見を交わすことが最も重要だと意見が一致し、ともに機上の人となったのであった。
テーゲル空港を出て、Sバーンと呼ばれる鉄道で宿泊する予定のホテルがあるベルリン南東部の駅に着いた。その時、私の第一声が「えっ?ここが首都?軽井沢みたいだ!!」であった。駅前の主要幹線道路は片道2車線でとても広く、歩道と自転車専用道が整備されている。また路側帯が広く車が駐車しても邪魔にならない。何よりも電線・電柱が無いので視界がとても広いのだ。表通りから一本路地に入ると景色は変わり、車が十分すれ違えるほどの広さの道路が、あえてアスファルト舗装されていない。日本でよく見かける電柱の代わりに街路樹が植わっている。日本で視界を妨げる電線のかわりに、風で木の葉が揺れるさまなどは、映画のワンシーンのようだ。ベルリンは電線地中化率がほぼ100%であり、自然をいかした街づくりはまるで電線が埋設されていないような錯覚に陥る。(東京23区の電線地中化率は約7%。)
(3)開発が進むベルリン
翌日、Uバーンと呼ばれる地下鉄を乗り継いでベルリン中央駅にやってきた。駅のホームから眺めた景色は、駅の周囲の広大な土地と林立するクレーンの圧倒的な数であった。
「これほど開発工事をしているのだから土地の値段も高く、既に不動産投資を始めるには遅いのではないか?」内心、ベルリン中心部を最初に見て焦っていた。しかし、その後の不動産デベロッパーとの新築マンションの現場視察・打ち合わせで良いほうに覆された。ビルの建築現場を視察した時に、現場がとても整然としていて、施工管理がとても行き届いていた。さすがギルドの国だけあってモノ造りにはとても信頼がおけるなと思いながら、そのマンションの分譲価格リストを見せてもらった。驚いたことに、東京の不動産価格の60%ぐらいでしかなかった。もちろんベルリンにおけるロケーションと東京におけるロケーションで、比較対象としてバランスのとれそうなものを選んでのことだ。
その後、ポツダマープラッツへと向かった。そこにはソニーセンターなど近代的なベルリンの街があった。同じ日に博物館島に移動して中世の建物を見たので、ベルリンという歴史に翻弄された街が垣間見えた、そんな第一印象であった。