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  • 12月はクリスマスマーケットの季節

    12月はクリスマスマーケットの季節

    12月に入り、ドイツではクリスマスマーケットのシーズンとなった。ベルリンでは市の観光ポータルサイト「Visit Berlin」で紹介されているものだけでも53か所でクリスマスマーケットの開催が予定されている。冬の寒さは厳しいが、地元住民・観光客を問わず一年で最も人々の心が熱くなるのが12月である。
    日本のお祭りがそうであるように、ドイツのクリスマスマーケットも地域ごとにバラエティ豊かなのが特徴だ。特にベルリンのクリスマスマーケットは伝統的なものから外国のエッセンスを取り入れたもの、ある特定のテーマに絞ったものまで多種多様であり、何度訪れても飽きることがない。ここではそのいくつかを紹介したい。

    【1】グルーネヴァルドのクリスマスマーケット(Märchenhafter Weihnacjtsmarkt am Jagdschloss Grunewald)

    ベルリンの南西部に広がる森林地帯にひっそりと佇むベルリン最古のお城で行われるクリスマスマーケット。ここはもともとプロイセン時代の王様が狩猟を楽しむ離宮であった。最寄りのバス停から真っ暗な森の中を1kmほど歩き続けなければいけないが、その先に突如賑わいを見せるマーケットが現れる。クリスマスマーケットには入場料を徴収するものとしないものがあり、グルーネヴァルドのマーケットではお城の入り口で入場券を購入してから中に入るシステムだ。伝統的な雰囲気が人気で、常に行列ができている。

    出典:Märchenhafter Weihnacjtsmarkt am Jagdschloss Grunewald Facebook公式イベントページより(https://www.facebook.com/events/1970611479874438/)

    【2】ジャパニーズクリスマスマーケット(Japanischer Weihnachtsmarkt Berlin)(Märchenhafter Weihnacjtsmarkt am Jagdschloss Grunewald)

    日本に関わる飲食店・雑貨屋・アーティスト・デザイナー・団体などが一同に会し、Arena Berlinという大きなメッセホールを貸し切って行われるクリスマスマーケット。日本食を堪能したり、伝統芸能のステージを楽しんだりしながら日本人・外国人問わず日本に関心のある人々が交流する大切な場となっており、ベルリンにおける日本文化の人気さを感じるマーケットである。2017年の開催は残念ながら見送られたそうだが、2018年の開催を楽しみにしたい。このマーケットでは日本のクリスマスとお正月の雰囲気をいわば”逆輸入”したもので、ベルリンの文化の多様性がここにうかがえる。

    出典:Japansicher Weihnachtsmarkt Berlin 公式Facebook ページより(https://www.facebook.com/japanxmasmarket/)

    古くから教会や市庁舎、宮殿の前に空地が設けられ、広場の活用に多様な文化があるヨーロッパ。クリスマスマーケットはその代表例と言えるだろう。昨年ベルリンではカイザーヴィルヘルム教会前のクリスマスマーケットで悲惨な事件が発生したが、これを受け今年はベルリンの各クリスマスマーケットにおいて一層の安全対策・警備強化がなされている。時代が変わっても長く親しまれ続けるクリスマスマーケット、安全と安心を共にこの文化が継承されていくことを願う。

  • 人口増加のベルリン、最新の動向

    人口増加のベルリン、最新の動向

    これまでも何度かベルリンの人口増加についてのトピックがブログの中で取り上げられてきたが、今回はその詳細に迫りたいと思う。
    ベルリンの地方紙であるベルリナー・モルゲンポスト(Berliner Morgenpost)は”Wo die meisten Neu-Berliner 2016 her kamen (2016年、新しいベルリナーの大多数はどこから来たのか?)” と題し、その結果を発表した。下の図をご覧いただきたい。


    出典:BM Infografik Twitter公式アカウントより(2017.11.18の投稿)

    濃い緑がドイツ国内からの移住者、薄い緑が国外からの移住者となっている。時計回りにだんだんと数が少なっているのがお分かり頂けるだろう。ランキングを整理すると以下のようになる。

    まず、ドイツ国内からの移住者において注目したいのは、17位までにランクインした8つの州(特別市)のうち6つが旧西ドイツエリアに位置しているということである。11月14日公開の「壁崩壊から28年、ベルリンは今」と題したブログ(https://goo.gl/92S6Be)では、2014年から旧東ドイツ地域と旧西ドイツ地域間の移住傾向が逆転していることについて触れたが、その結果がこの結果にも如実に表れていると言えるだろう。(参考資料:『東西移住傾向が逆転、1990年統一後初めて ドイツ』AFP BB NEWS http://www.afpbb.com/articles/-/3088855 )
    次に、国外からの移住者においてやはり目を引くのは、欧米諸国に次ぐ中東の国々である。ドイツの難民受け入れ政策に関しては昨今様々な議論が続いているが、今後も中東系の「新ベルリナー」がベルリン、そしてドイツ社会の中で一定数の割合を占めることになるのは間違いないだろう。また、財政難を抱えるイタリアなどの欧州内の隣国や、2000年以降のEU拡大に伴うポーランドやブルガリア、ルーマニアといった東欧諸国からの移住も注目すべきポイントである。

    2017年もあとわずか、今年もまた「新しいベルリナー」が誕生している。世界中からの希望と期待を背負った人々が集うベルリン。ベルリナーという言葉は単なる”ベルリン市民”という枠を超え、より広く多様な意味合いを持つようになるであろう。ベルリンを訪れ、住まう人々を理解することは、今後のベルリンの未来を紐解く重要な鍵ではないだろうか。

  • 新都心ポツダマープラッツ

    新都心ポツダマープラッツ

    ポツダマープラッツは、ソニーセンターを始め、近代的なベルリンの街である。博物館島のあるアレクサンダープラッツ周辺とは大きく違う。ポツダマープラッツは第二次世界大戦前のベルリンの中心地の一つであったが、ベルリン市街戦で激戦地となり街は廃墟となってしまっていた。1961年に築かれた壁により、ベルリンは東西冷戦の戦略的拠点ではあるものの、大規模な開発がなされない経済的な空白地となっていた。ソ連の軍隊がすぐそばに駐留している飛び地地帯に資本を入れたがる有力者はさすが
    にいなかったのだ。そんなベルリンに大きな転機が訪れたのは、1989年の東西ドイツ再統一及びベルリンの壁崩壊である。ベルリン再統一後の大規模な開発でとてもスタイリッシュでモダンな街並みへと変貌を遂げた。

    壁崩壊後、再開発の地として最初に選ばれたのは、ベルリン中央区に位置するポツダマープラッツであった。現在ベルリン市内で、訪れる観光客数が最も多い場所の一つであるこの広場、そしてその周辺には、ベルリン国際映画祭の会場があり、数々の巨大ショッピングセンターが現れ、1989年当時の景観と比べると劇的に変化している。
    当時再開発に着手したのは、ダイムラー・ベンツ、ソニー、ドイツ鉄道などの大手企業だ。再開発の背景には、大きな要因があった。

    その要因として、ベルリンの壁がポツダマープラッツを分断する形で建設され、その東側は無人地帯として広大な更地となっていたため、壁崩壊後の開発が進めやすかったことが挙げられる。またポツダマープラッツは、壁が建設される以前から、市電、地下鉄、地上鉄道などの交差点であり、交通の便が非常に優れていた場所であった。まさにベルリン中心部から目と鼻の先という、非常に魅力的な立地である。ベルリンの壁崩壊以降、潤沢に存在していた旧東ベルリンの開発土地であるが、2014年にオープンした巨大ショッピングセンター「Mall of Berlin」が、パズルの最後のピースとなった感がある。そして現在は旧西ベルリンで、大規模な再開発が進んでいる。ベルリンの壁があった場所のすぐ西側には、壁崩壊前から数々の素晴らしい文化施設が立ち並んでおり、西側の文化的レベルの高さのアピールとなっていた。クラシック音楽の殿堂、ベルリン・フィルハーモニーや、ベルリンの〝MOMA〟的な存在である新・ナショナルギャラリー、ベルリン州立図書館などが代表的である。

    ※ドイツ不動産セミナー

    ~先進国の知られざる「成長都市」ベルリン及びフランクフルト、ハンブルクの最新事情と不動産投資のポイント
    ・2017年12月10日(日)13:00 – 14:30
    ・ウィンドゲート本社内 セミナー会場

  • 壁崩壊から28年、ベルリンは今

    壁崩壊から28年、ベルリンは今

    2017年11月9日、ベルリンの壁が崩壊して28年の時が経った。毎年ベルリンはもちろんのこと、世界各地でこの記念すべき日は大きく報道されるが、今年は特に大きな意味を持つ節目の年であった。ベルリンの壁が存在していた28年という年数に、崩壊してからの年数が並んだのである。

    第二次世界大戦の幕が閉じ、米・英・仏による西側陣営はドイツの復興像として民主主義の国家再建を検討していたが、東側のソ連は自国の社会主義をそのまま持ち込もうとしていた。ベルリンはここから2つの勢力による都市復興が計画され、不完全な計画を東西にそれぞれ抱えた歪(いびつ)な都市へと成長していった。東ベルリンの復興計画では、当時ソ連で独裁を敷いていたスターリンによる社会主義リアリズムに端を欲したモニュメンタリズムを基軸に、西側諸国に対する「勝利」を表現した壮大な建築物やその装飾デザインが提案された。一方、東ドイツの中で陸の孤島となっていた西ベルリンでは、東ドイツおよび東ベルリンに対抗するかのような新しい都市への提案が相次ぎ、特に住宅や住まい方の点において議論が白熱した。両陣営目的も手法も異なる復興を行い続け、その歪さの象徴としてベルリンの壁が1961年として建設されたと言えよう。ヨーロッパの長い歴史の中で、都市の城壁は外敵から都市を守る役割を担ってきたが、ベルリンの壁は内からの逃走や情報の漏えいを食い止めるというこれまでにない意味合いを持っていた。ベルリンの壁は取り除かれる1989年まで「強化」が続けられ、鉄条網からコンクリートブロック、最終的には自動発射銃も取り付けられた。もはや街中に張り巡らされた兵器のような存在である。冷戦時代における米ソの対立はしばしば「鉄のカーテン」と呼ばれるが、その重々しさはベルリンの壁の持つ意味合いをまさに体現している。

    だからこそ、壁の崩壊というすさまじく大きなエネルギーは28年という歴史のなかで多くの変化をもたらした。なかでも特に注目すべきなのは、2014年から旧東ドイツ地域と旧西ドイツ地域間の移住傾向が逆転していることである。その背景としてベルリンへの移住者増加が指摘されている。ドレスデンやライプツィヒも旧東ドイツ地域への移住が増加した要因となっている都市であるが、どちらも「ポストベルリン」と呼ばれるほど、ベルリンの持つ魅力は大きく評価されている。(出典:『東西移住傾向が逆転、1990年統一後初めて ドイツ』AFP BB NEWS  http://www.afpbb.com/articles/-/3088855

    また、世界レベルで見てもベルリンには移住者が殺到している現状にあり、ヨーロッパの国際都市として地位を確立している。ロンドン、パリ、ウィーンといったような大都市に肩を並べ、成長を続けるベルリンの魅力はどこから生まれるのか。

    度重なる革命と戦争によって激しい破壊・更新を繰り返してきたベルリンは、いまだ都市の完成というものを経験していない。だからこそ、ベルリンは独自の自由さとパワーを持ち合わせているのではないだろうか。東と西、それぞれが自らの計画をもう一方へ展開させることを目論んでいたため、今もベルリンの都市には歪さが残り、この歪さがベルリンらしさを生み出しているともいえる。壁が撤去されたことにより、ベルリンの中心部から郊外部に生まれた広大な空地は、そのまま開発・再開発の「伸びしろ」となった。

    壁が建設されて28年、壁が崩壊して28年。この節目の年に見るベルリンの未来は明るい。