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  • ベルリンと東京は似ている?

    ベルリンと東京は似ている?

    2018年2月5日は「ベルリンの壁が存在した日数」と「ベルリンの壁が崩壊してからの日数」が同じ10316日という大きな節目の日である。これについては以前ブログで『壁崩壊から28年、ベルリンは今』というタイトルのもと詳しく綴ってある。

    遠く離れたドイツと日本。しかしながら「ベルリン」と「東京」という都市にスポットを当ててみると、「姉妹都市」という文脈からその類似性が見えてくる。


    ベルリンと東京は「姉妹都市」である。

    ベルリン市と東京都は1994年から姉妹都市の関係にある。(参考:東京都政策企画局)

    姉妹友好都市関係樹立にともなう共同宣言
    姉妹友好都市関係樹立にともなう共同宣言

    【姉妹都市締結のあゆみ】

    ・1985年  ベルリン日独センター開館

    1994: 締結

    ・1999-2000年 「ドイツにおける日本年」900件の事業

    ・2005-2006年 「日本におけるドイツ年」1600件の事業

    ・2011年  日独交流150周年

    2014年  締結20周年


    姉妹都市とは (予備知識)

    豊田哲也氏『姉妹都市提携の変容と展望』(国際教養大学アジア地域研究連携機構研究紀要 (2), 9-22, 2016)によると、姉妹都市提携の概念については確立されたものが存在するわけではなく、姉妹都市提携の活動はヨーロッパと米国で展開された平和活動が起源になっているそうである。しかしながら、戦争体験が遠のくにつれてその目的が「文化・教育交流」や「経済連携」へとシフトしている。

    また、土田雅裕氏『姉妹都市交流事業の展開構造の分析』(都市計画論文集 (24), p403-408, 1989-11)によると、姉妹都市提携に至る過程(=”提携のモチーフ”)として、都市相互の「類似性」や既存の「関係性・つながり」などがあると指摘している。


     

    ベルリン-東京 姉妹都市締結のワケは?

    ベルリン-東京を結びつけるもの、それは「都市の歴史」とりわけ「戦後復興・戦災復興」である。

    共同宣言のなかには以下のような言葉があった。

    東京とベルリン、この両都市は、長い歴史のなかで多くの困難を克服しながら発展し、今やそれぞれの国の首都として、また世界の中心的な都市として、さらに大きく飛躍していこうとしている。

    2014年の提携20周年に寄せて、当時の東京都副知事である秋山俊行氏はベルリン日独センター広報誌において以下のようなコメントを残した。

    ベルリン市と東京都は、戦後、廃墟の中から復興と発展を遂げてきたという共通の歩みを持った都市です。

    また、東京で行われた提携20周年を記念したイベント『BERLIN x TOKYO デザイン、アート、カルチャー展〜新しいアイディアが生まれるすきま〜 』では以下のような紹介が行われていた。

    ベルリンはアーティスト、音楽家、オルタナティブな生き方を求める人の「遊び場」となり、廃墟を最大限活かした独特の進化をしてきました。東京は商業、デザイン、テクノロジーにおいて世界を牽引する大都市と成長しました。

    これまで何度かブログでもお伝えしてきたように、ベルリンは度重なる革命と戦争による激しい破壊・更新 を繰り返してきた都市である。20世紀に5度の国家体制崩壊という政治基盤の破壊・更新をはじめ、戦争による市街地の破壊・更新も著しかった(1945年、最後のベルリン守備隊が赤軍に降伏した際にはベルリンの中心部の約3分の2が破壊され、住宅地は約40パーセントが居住不可能な状態となった) 。また、東京も関東大震災や第二次世界大戦により大きな損傷を受けた都市である。当時東京は「帝都」とされていたが、日本全体を牽引するような力はなく、人々は東京の街で路頭に迷っていた。

    ベルリンと東京、この両都市において、破壊や更新の連続はただ単にネガティブなものではなく、いわば細胞の再生のように都市を生まれ変わらせていった。都市における傷を癒やそうとする力はマイナスをゼロにするだけでなく、プラスにまで到達するのである。ベルリンでは、破壊と更新の中で生まれた廃墟が貧しいながらも安価で暮らしやすい環境や創造力を発揮できる広大な空地となった。東京では、焦土の地で区画整理という手法が取り入れられたことにより、狭小の木造密集市街地からゆったりとした道路や公園が生まれた。また、どちらの都市も悲惨な歴史や体験を乗り越えたからこそ、人間の力や人々のつながりを非常に大切にしている。誰もが安全に、自由に暮らせる空間。活発なコミュニケーションの風土が豊かな芸術・思想・文化・伝統を生み出した。

    グローバル化が成熟し、少し世界が内向きになりつつある今、共通の歩みを辿ってきたという文脈のなかで生まれた姉妹都市「ベルリンと東京」は時代の転換期のなかで同じ使命を背負っているのかもしれない。佐藤智子氏・吉永馨氏『問題解決型姉妹都市交流 ―仙台市とリバーサイド市の事例研究―』(総合政策 = Journal of policy studies 18(1), 1-16, 2016-11)によると、姉妹都市を通しての問題解決型交流の可能性を指摘している。戦争体験から平和の尊さを深く理解しているベルリンと東京だからこそ、姉妹都市の絆と協働のパワーは大きい。経済・文化・教育交流だけではなく、これからの世界に待ち受ける様々な問題を、両都市が先陣を切って解決することが求められているのではないだろうか。

    <セミナー情報>

    2月27日(火)19:00~「ライプツィヒ不動産セミナー」

    場所:株式会社ウィンドゲート

  • 壁崩壊から28年、ベルリンは今

    壁崩壊から28年、ベルリンは今

    2017年11月9日、ベルリンの壁が崩壊して28年の時が経った。毎年ベルリンはもちろんのこと、世界各地でこの記念すべき日は大きく報道されるが、今年は特に大きな意味を持つ節目の年であった。ベルリンの壁が存在していた28年という年数に、崩壊してからの年数が並んだのである。

    第二次世界大戦の幕が閉じ、米・英・仏による西側陣営はドイツの復興像として民主主義の国家再建を検討していたが、東側のソ連は自国の社会主義をそのまま持ち込もうとしていた。ベルリンはここから2つの勢力による都市復興が計画され、不完全な計画を東西にそれぞれ抱えた歪(いびつ)な都市へと成長していった。東ベルリンの復興計画では、当時ソ連で独裁を敷いていたスターリンによる社会主義リアリズムに端を欲したモニュメンタリズムを基軸に、西側諸国に対する「勝利」を表現した壮大な建築物やその装飾デザインが提案された。一方、東ドイツの中で陸の孤島となっていた西ベルリンでは、東ドイツおよび東ベルリンに対抗するかのような新しい都市への提案が相次ぎ、特に住宅や住まい方の点において議論が白熱した。両陣営目的も手法も異なる復興を行い続け、その歪さの象徴としてベルリンの壁が1961年として建設されたと言えよう。ヨーロッパの長い歴史の中で、都市の城壁は外敵から都市を守る役割を担ってきたが、ベルリンの壁は内からの逃走や情報の漏えいを食い止めるというこれまでにない意味合いを持っていた。ベルリンの壁は取り除かれる1989年まで「強化」が続けられ、鉄条網からコンクリートブロック、最終的には自動発射銃も取り付けられた。もはや街中に張り巡らされた兵器のような存在である。冷戦時代における米ソの対立はしばしば「鉄のカーテン」と呼ばれるが、その重々しさはベルリンの壁の持つ意味合いをまさに体現している。

    だからこそ、壁の崩壊というすさまじく大きなエネルギーは28年という歴史のなかで多くの変化をもたらした。なかでも特に注目すべきなのは、2014年から旧東ドイツ地域と旧西ドイツ地域間の移住傾向が逆転していることである。その背景としてベルリンへの移住者増加が指摘されている。ドレスデンやライプツィヒも旧東ドイツ地域への移住が増加した要因となっている都市であるが、どちらも「ポストベルリン」と呼ばれるほど、ベルリンの持つ魅力は大きく評価されている。(出典:『東西移住傾向が逆転、1990年統一後初めて ドイツ』AFP BB NEWS  http://www.afpbb.com/articles/-/3088855

    また、世界レベルで見てもベルリンには移住者が殺到している現状にあり、ヨーロッパの国際都市として地位を確立している。ロンドン、パリ、ウィーンといったような大都市に肩を並べ、成長を続けるベルリンの魅力はどこから生まれるのか。

    度重なる革命と戦争によって激しい破壊・更新を繰り返してきたベルリンは、いまだ都市の完成というものを経験していない。だからこそ、ベルリンは独自の自由さとパワーを持ち合わせているのではないだろうか。東と西、それぞれが自らの計画をもう一方へ展開させることを目論んでいたため、今もベルリンの都市には歪さが残り、この歪さがベルリンらしさを生み出しているともいえる。壁が撤去されたことにより、ベルリンの中心部から郊外部に生まれた広大な空地は、そのまま開発・再開発の「伸びしろ」となった。

    壁が建設されて28年、壁が崩壊して28年。この節目の年に見るベルリンの未来は明るい。